Page:Kokubun taikan 09 part1.djvu/123

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そひてをこなる心ちすれは、人にも解かせぬ時しもあれ、夢あはするもの來たるに、異人の上にて問はすれば、「うへもなくいかなる人の見たるぞ」と驚きて「みかどを我がまゝにおぼしきさまの政せむものぞ」とぞいふ。「さればよ。これが空あはせにはあらず。いひおこせたる僧の疑しきなり。あなかま、いとにげなし」とて止みぬ。又あるものゝいふ、「この殿のみかどを、四つ足になすをこそ見しか」といへば、「これは大臣公卿いでき給ふべき夢なり。かく申せば男君の大臣近くものし給ふを申すとぞおぼすらむ。さにはあらず。公達御行く先の事なり」とぞいふ。又みづからのをとゝひのよ見たる夢、右の方の足の裏に、男かとく〈とイ有〉いふ文字を、ふと書きてつくれば、驚きて引き入ると見しを問へば、「この頃の同じ事の見ゆるなり」といふ。これもをこなるべきことなれば、物ぐるほしと思へど、さらぬ御ぞうにはあらぬ我が一人もたる人〈道綱〉〈しイ有〉覺えぬさいはひもやとぞ心の中に思ふ。かくはあれど唯今の如くにては行く末さへ心細きに、唯一人男にてあれば、年頃もこゝかしこに詣うでなどする所にはい〈こイ〉の事を申し盡しつれば、今はまして難かるべき年よはひになり行くを、いかで賤しからざらむ人の、をんなご一人とりてうしろみもせむ、一人ある人をもうち語らひて、我が命のはてにもあらせむとこの日頃思ひ立ちて、これかれにもいひ合はすれば「殿の通はせ給ひし源宰相兼忠とか聞えし人の御むすめの腹にこそ、女君いと美くしげにてものし給ふなれ。同じうはそれをやは、さやうにも聞えさせ給はぬ。今は志賀の麓になむかのせうとの禪師の君といふに就きてものしたまふなる」などいふ人あるとき〈くイ有〉に、「そよやさることありきかし。