Page:Kokubun taikan 09 part1.djvu/113

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るきの所は、御ぜんなどあれば、諸共にとて愼む所にわたりぬ。所かへたるかひなく午の時はかりに俄にのゝしる。あさましや。「誰かあなたのかどはあけつる」などあるじも驚き騷ぐに、ふと這ひ入りて、日頃例のかうもりすゑて行ひつるも俄に投け散らし珠數もまきにうちあげなど、らうがはしきに、いとぞあやしき。その日のどかにくらして又の日歸る。』さて七八日ばかりありて、初瀨へ出で立つ。巳の時ばかり家を出づ。人いと多く、きらきらしうて物すめり。未の時ばかりに、このあぜちの大納言〈師氏〉の領し給ひし、宇治の院に至りたり。人はかくてのゝしれど、我が心ははつかにて、〈みイ有〉めぐらせば、あはれに心に入れてつくろひ給ふと聞きし所によ〈二字ぞかイ〉し。この月にこそは、御はてはしつらめ、程なく荒れにたるかなと思ふ。こゝ〈二字とこ〉ろの預りしけるものゝ、まうけをしたれば、建てたるものゝこ〈主イ〉のなめりと見る物、とばり、すだれ、網代屛風、黑がいの骨に朽葉のかたびらかけたる几帳どもゝ、いとつきづきしきもあはれとのみ見ゆる。こうじにたるこ〈にイ〉風は拂ふやうに吹きて、頭さへ痛きまであれば、かざかくれ作りて見出したる。やゝ木くらくなりぬれば、鵜船ども篝火さし燈しつゝ一人はさしいきたり。をかしく見ゆる事限なし〈頭さへ以下六十六字流布本無〉。頭の痛さの紛れぬればはしのす卷きあげて、見出して、あはれ我が心とまうでし旅、かへさにあがたの院にぞゆきかへし〈りイ〉せしこゝに〈ろ脫歟〉になりけり。見しあぜち殿のおはして物など仰せ給ふめりしは哀にもありけるかな、いかなる世に、さだにありけむと思ひ續くれば、目もあはで夜中過ぐるまでながむる。鵜船どもゝ、のぼりくだり行きちがふを見つゝは、