Page:Kokubun taikan 09 part1.djvu/111

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あれば、いらへもせで、あな物くるほし、いとたとしへなき樣にもあるべかなるかなと思ひ臥して、更に動くまじければ、さふりはへこそすべかなれ、方明きなばこそは參りくべかなれと思〈いイ〉ふに、例の人「ゆか〈二字六日イ〉の物忌になりぬべかりけり」など惱ましげにいひつゝ出でぬ。つとめて文あり。「夜更けにければ、心ちいと惱ましくてなむ。いかにぞ。はやとしみをこそし給ひてめ。この大夫のさもふつゝかに見ゆるかな」などぞあめる。何かは、かばかりぞかしと思ひ離るゝものから物忌はてむ日いぶかしき心ちぞ添ひて覺ゆるに、六日を過ごして七月三日になりにたり。「晝つ方渡らせ給ふべし。こゝに侍へさ〈とイ〉なむ仰事ありつる」といふ。物どもゝ來たれば、これかれ騷ぎて、日頃みだれかはしかりつる所々をさへ、こほこほと造るを見るに、いと傍いたく思ひ暮すに、暮れはてぬれば來たる。をのこども「御車のさうぞくなども、みなしつるを、など今まではおはしまさゞらむ」などいふ程に、やうやう夜もふけぬ。ある人々「猶あやし。いざ人して見せに奉らむ」などいひて、見せに遣りたる人歸りにて、「唯今なむ御車のしやうぞく解きて、みずゐしんばらも皆亂れ侍りぬ」といふ。さればよとぞ又思ふに、はしたなき心ちすれば、思ひ歎かなど〈二字るゝことイ〉更にいふ限なし。山ならまし時、かく胸ふたがる目を見ましやと、こよなく思ふ。ありとある人も、あやしあさましと思ひさわぎあへり。事ども三夜ばかりに來ずなりぬるやうにぞ見えたる。いかばかりのことにてとだに聞かば、やすかるべしと思ひ亂るゝ程に、まらうどぞ物したる。心ちのむつかしきにと思へど、とかく物いひなどするにぞ少し紛れたるぞ。さて明けぬれば、大夫「何事によりてにかあり