Page:Kokubun taikan 09 part1.djvu/102

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れなむいともどかしう見ゆることなれば、かくかく思ふ」といへば、いらへもせでさくりもよゝになく。さて五日ばかりにきよまはりぬればまた堂に上りぬ。日頃物しつる人〈叔母〉今日ぞ歸りぬる。車の出づるを見やりてつくづくとたてれば、木蔭にやうやういくも、いと心すごし。見やりても詠めたてりつる程に、けやあがりぬらむ、心ちいと〈あしうイ有〉おぼえてわざといと苦しければ山籠りしたるぜじ呼びて護身せに〈一字さすカ〉る。夕暮になるほどに、念ず聲に加持したるを、あないみじと聞きつゝ思へば、むかし我が身にあらむこととはゆめに思はで、あはれに心すごき事とてはた高やかに思ふにも、うき心ちのあまりにいひにもいひて、あなゆゝしとかつは思ひしさまに一つ違はず覺ゆれば、かゝらむとて、物思はせいは〈かイ〉でなりけると、思ひ臥したるほどに、我が元のはらから一人また人も歸りも〈も衍歟〉にものしたり。這ひ寄りてまづいかなる心ちぞとさとりて、思ひがたくまゐる日よりも、山に入り立ちてはいみじく物のおぼえはべることとてふだんすまるなりとて、よゝと泣く。人やりにもあらねば、念じ返せどえ堪へず。泣きみ、わかる〈わらひカ〉み、よろづの事をいひあかして、明けぬれば「るゐしたる人いそぐ事あるを今日は歸りて後に參り侍らむ。そもそもかくてのみやは」などいと心ぼそげにいひても、かすかなるさまにて、歸る心ち、けしうはあらねば、例の見送りて詠め出したるほどに、またをさなく〈四字おはすおはすイ〉とのゝしりてくる人あり。さならむと思ひてあれば、いとにぎはゝしく、さと心ちしてうつくしき者ども、さまざまにさうぞき集りて、二車ぞあ〈る脫歟〉馬どもなどふさに引き散し、かいて騷ぐ。破子や何やとふさにあり。誦經うちし、哀げなる法師ばらに、かたびらや