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朝夕このむ事とては犬くひ田樂などをぞあひしける。これは最勝園寺入道貞時といひしが子なれば、承久の義時よりは八代にあたれる。この頃私のうしろみには長崎入道圓基とかやいふものあり。世の中の大小事唯皆この圓基が心のまゝなれば、都の大事かばかりになりぬるをもかの入道のみぞとりもちておきて計らひける。重き武士ども多くのぼすべしと聞ゆ。大かた京も鎌倉もさわぎのゝしるさまけしからず。承久のむかしもかくやと今さらに思ひやらる。持明院殿には春宮おはしませば、思の外にめでたかるべき事なれど、今日あすはいまだ軍のまぎれにて何のさたもなし。御とのゐのものゝうべうべしきもなくて離れおはしますもあぶなき心ちすればにや、せめても六波羅近くとて六條殿へ本院、新院、春宮引き續きてうつらせ給ひぬれど、日にそへて天の下さわぎおそろしき事のみ聞ゆれば、猶これも危しとて六波羅の北に代々の將軍の御料とてつくりおける檜皮屋ひとつあるに兩院、春宮まゐらせ給ふ。大かたはいとものしきやうなれどよろしき時こそあれ、かばかりのきはには何の儀式もなかるべし。笠置殿には大和河內伊賀伊勢などより兵ども參りつどふ。中に事のはじめより賴みおぼされたりし楠木兵衞正成といふものあり。心猛くすくよかなるものにて河內國におのがたちのあたりをいかめしくしたゝめて、このおはします所若し危からむをりは行幸をもなしきこえむなど用意しけり。あづまのえびすどもゝやうやう攻め上るよしきこゆ。もとより京にある武士どもゝ我先にときほひまゐる。木の丸殿には、さこそいへ、むねむねしきものなし。いかになりゆくべきにかといと物心ぼそくおぼしみだる。我が御心も