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の下がさね萠黃の上のはかまなり。別當高定、宰相中將通持、三位中將實兼、右衞門督師親、殿上人には頭中將具氏、忠秀この人々は松重の下がさね藤のうへのはかま、おなじ色なる念なしとぞさたありける。「具氏は花橘の下かさねを着給へりし」と申す人も侍りしはいづれかまことなりけむ。近衞將曹廿四人、とりどりいろいろに織り盡したるめでたかりけり。關白殿御車にて參りたまふ。まづ女院の御車東の廂の北の妻戶へ左右大臣よせらる。院司の大納言通成事のよしを奏せられて樂屋の亂聲など常のごとし。御寺の儀式ありし法勝寺にかはらず。御導師は聖基僧正、御方々の引出物どもいとゆゝしう法師ばらのたけとひとしき程に積みかさねたり。萬歲樂地久など賞仰せらる。人々の祿、關白殿には織物の袿一重藏人頭とりてたてまつる。大臣には綾の袿、納言は平絹なり。御門、新院御對面の儀式など定めて男の記錄に侍らむかし。御願文の淸書は經朝の三位、料紙は紫の色紙、額はかの建て始められし長寬に、敎長書きたりけるが燒けざりければ、この度もそれをぞ用ゐられける。かくて少し人々の心のどかにうち靜まりて思さるゝに、あづまに何事にか煩しき事いできにたりとて將軍〈宗尊親王〉七月八日俄なるやうにて御のぼり、かねては始めて御のぼりあらむ時の儀式などになくめでたかるべきよしをのみ聞きしに、思ひかけぬほどにいと怪しき御ありさまにて御のぼりあり。御くだりの、六波羅の北方に建てられたりし檜皮屋に落ちつかせおはしましぬ。この頃あづまに世の中おきてはからふぬしは相模守時宗と左京權大夫政村朝臣なり。政村とはありし義時の四郞なり。京の南〈如元〉六波羅は陸奧守時茂、式部太輔時輔とぞ聞ゆる。中務