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れざりつるならひ、十三年の御名殘ひきわかるゝ〈はイ有〉猶いと哀に忍びがたき御けしきをかなしと見奉りて、辨內侍、

  「いまはとておりゐる雲のしぐるれば心のうちぞかきくらしける」。

     第七 煙の末々

寳治二年十一〈一イ無〉月二十日ごろ紅葉御覽じがてら宇治に御幸したまふ。〈をかのや殿の攝政の御程なり。〉上達部殿上人、思ひ思ひいろいろの狩衣、菊紅葉のこき薄き、縫物織物あやにしき、かねてより世のいとなみなり。二十一日の朝ぼらけに出でさせ給ふ。御ゑぼう子なほし、薄色の浮織物の御指貫、網代びさしの御車にたてまつる。まづ殿上人下﨟より前行す。中將爲氏ふせんりようの狩衣、右馬頭房名、もとゝも、菊のから織物、內藏頭たかゆき、あきかた、白菊のかり衣、皇后宮權のすけみちよ、右中辨時繼、薄靑のかた織物、紫のきぬ、前の兵衞のすけ邦經、赤色の狩衣、衞門のすけ親嗣、ふた藍の狩衣、なりとしひはだ、伴氏、左兵衞のすけ親朝はむすびかり衣に菊をおきものにして紫すそごの指貫菊をぬひたり。上達部は堀川の大納言ともざねなほし、皇后宮大夫たかちかなほし、花山院の大納言〈さだまさ〉權大納言〈さねを〉花田の織物のかりぎぬ、かれ野のきぬ、土御門の大納言〈あきさだ〉、左衞門のかみ〈さねふぢ〉うすあを、衞門のかみ〈みちなり〉かれ野の織物のかりぎぬ、別當〈定嗣〉なほし、雜色に野劍をもたせたり。皇后宮の權大夫〈もろつぐ〉萠黃のふせんりようのかりきぬ、浮織物のさしぬき、紅のきぬ、土御門の宰相の中將〈まさいへ〉、かうの織物の狩ぎぬ、御隨身居飼御廐舍人までいかにせむといろいろをつくす。院の御車のうしろに權大納言