Page:Kokubun taikan 07.pdf/554

提供:Wikisource
このページは校正済みです

  「我こそはにひしまもりよおきの海のあらきなみ風こゝろしてふけ。

   おなじ世にまたすみのえの月や見む今日こそよそにおきの島もり」。

年もかへりぬ。ところどころ浦々あはれなる事をのみおぼしなげく。佐渡院あけくれ御行をのみし給ひつゝ、なほさりともとおぼさる。隱岐には浦より遠のはるばると霞み渡れる空を眺め入りて、過ぎにし方かきつくしおもほしいづるに、行くへなき御淚のみぞとゞまらぬ。

  「うらやましながき日かげの春にあひて鹽くむあまも袖やほすらむ」。

夏になりて、かやぶきの軒端に五月雨のしづくいと所せきも、御覽じなれぬ御心ちにさまかはりてめづらしくおぼさる。

  「あやめふくかやがのきばに風すぎてしどろにおつるむら雨のつゆ」。

初秋風のたちて、世の中いとゞものかなしく露げさまさるに、いはむ方なくおぼしみだる。

  「故鄕をわかれぢにおふるくずの葉の秋はくれどもかへる世もなし」。

たとしへなくながめしをれさせ給へる夕暮に、沖の方にいと少さき木の葉の浮べるとみえて漕ぎくるを、あまの釣舟かと御覽ずる程に、都よりの御せうそこなりけり。黑染の御衣夜の御ふすまなど、都の夜さむに思ひやり聞えさせ給ひて、七條院よりまゐれる御文ひきあけせさ給ふより、いといみじく御胸もせきあぐる心ちすれば、やゝためらひて見給ふに、「あさましくもかくて月日へにける事、今日あすとも知らぬ命のうちに、今一たびいかで見奉りてしがな。かくなからば死出の山路も越えやるべうも侍らでなむ」などいと多くみだれかき給