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琴をめでたくあそばしけるも、御心に入れてをしへなど限なく時めき給ふに、冷泉院の御母后うせ給ひてこそなかなかこよなくおぼえ劣り給へりとは聞えしか。「故宮のいみじくめざましく安からぬものにおぼしたりしかば、思ひ出づるにいとほしく悔しきなり」とぞ仰せられける。この女御の御腹に八宮とてをとこ親王生れ給へり。御かたちなどは淸げにおはしけれど、御心極めたる世のしれものとぞ聞き奉りし。世の中のかしこきみかどの御ためしには、もろこしには堯の帝と舜の帝と申す。この國には延喜天曆とこそは申すめれ。延喜とは醍醐の先帝の御事、天曆と申すは村上の先帝の御事なり。そのみかどの御子は小一條大臣のうまごにてしかしれ給へりける、いといと怪しき事なりかし。その母女御の御せうとなりときの左大將と申しゝ、長德元年四月二十三日にうせ給ひにき。御年五十三。この大將は父おとゞよりも御心ざまのわづらはしくくせぐせしきおぼえまさりて、あまり名聞になどぞおはせし。御妹の女御殿に村上の御琴敎へさせ給ひける御前に侍らひ給ひて聞きならひ給ふ程に、おのづから我もその道の上手に人にも思はれたまへりしを、おぼろげに心よくならひ給はず。さるべき事の折もせめてそゝのかされて、物一つばかりかきあはせなどこそし給ひしか。「あまりけにくし」と人にもいはれ給ひき。人の奉りたるにへなどいふものはお前の庭にとりおかせ給ひて、夜はにへ殿に納め、晝は又もとのやうにとり入れつゝおかせなど、又人の奉り代ふるまではおかせ給ひて取り動すことはせさせ給はぬ、あまりやさしき事なりな。人などのまゐるにもかくなむと見せ給ふれうなめり。むかし人はさる事をよきにはしけ