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の臺盤すゑたるをば、雀ののぼりてくふをりなどぞ侍るなる。實方の中將の、頭になり給はぬ、おもひの遺りておはするなど申すも、誠にはべらば、あはれに耻づかしくも、末の世の人は侍る事かな。

いづれの年にか侍りけむ。右近の馬塲のひをりの日にやありけむ。女車、物見にやりもてゆきけるに、重通の大納言、宰相中將におはしける時にや、車やりつゞけて、見知りたる車なれば、見よき所にたてさせなどして後にわが隨身を、女の車にやりて、

  「たれたれぞたれそ〈二字衍歟〉やまの郭公」

とかや聞こえければ、女の車より、

  「うはのそらにはいかゞなのらむ」

とぞいひ返しける。いとすぐれてきこゆることもなく、かなはずもやあらむ。されども事がらのやさしく聞こえしなり。時の程に覺えむこともかたくて、さてやまむよりも、かやうに云ひたるもさる事ときこゆ。又連歌のいつ文字も、げにと聞こえねども、さやうに問ふべきことに侍りけるなるべし。又確にもえうけ給はらざりき。ひをりといふことはおぼつかなきことに侍るとかや。兼方は眞手つがひと申し侍りけるとかや。匡房中納言の、江次第とかやにもこのことは見え侍るとぞきゝ侍りし。

又いづれの年にか。眞弓の的かくることを、舍人の爭ひて、日くれ夜ふくるまで侍りければ、物見車ども、おひおひに歸りけるに、かきつけて、大將の隨身にとらせたりけるとかや。