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  「梓弓ためらふほどに月かげのいるをのみ見てかへりぬるかな」。

ひがことにや侍りけむ。いづもの國にてうせ給ひにし大將殿のつき給へりしとかや。

堀河のみかどの內侍にて周防とかいひし人の、家をはなちて外にわたるとて、はしにかきつけたりける、

  「すみわびてわれさへのきの忍草しのぶかたがたしげき宿かな」

とかきたる、まだその家はのこりて、その歌も侍るなり。見たる人の語り侍りしは、いとあはれにゆかしく、その家はかみわたりにいづことかや、冷泉堀河の西と北とのすみなるところとぞ人は申しゝ。おはしまして御覽ずべきぞかし。まだうせぬ折に、又堀川のみかどのうせたまひて、今のみかどの內侍にわたるべきよし侍りけるに、

  「あまのがは同じ流れといひながらわたらむことは猶ぞ悲しき」

とよまれて侍りけむ。いとなさけ多くこそきこえ侍りしか。

ちかくおはせし橫河の座主の坊に、琳賢といひて、心たくみにて、石たてかざり車の風流などするものはべりき。うたへ申すことありて、藏人の頭にて雅兼中納言のおはしける時かの家にいたり侍りけるに、「大原のたきの歌こそいとをかしく聞えしか」と侍りけるに「うれへ申すことはいかでも侍りなむ。この仰せこそ身にしみて嬉しく侍れ」とでなむ限りなくよろこびて出でにける。その歌は、花園のおとゞの、大原の房の瀧見にいりたまへりけるに、

  「今よりはかけておろかにいはしみづ御らんをへつる瀧の白絲」