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る後にて、此のわたりは稻荷の明神こそとてねんじければ、きとおぱえけるをかきて侍りける。

  「いなり山こえてやきつるほとゝぎすゆふかけてしも聲のきこゆる」。

同じ人の、「人にしらるばかりの歌よませさせ給へ。五年が命にかへむ」と住吉に申したりければ、落葉雨の如しと云ふ題に、

  「木の葉ちる宿は聞きわくことぞなき時雨する夜もしぐれせぬよも」

とよみて侍りけるを、かならずこれとも思ひよらざりけるにや、病ひのつきて、生かむと祈りなどしければ、家に侍りける女に、住吉のつきて、「さる歌よませしはさればえ生くまじ」とのたまひけるにぞ、ひとへに後の世の祈りになりにけるとなむ。

又同じゆかりに、三河守賴綱といひしは、まだ若くて、親のともに三河の國に下りけるに、かのくにの女をよばひて、又も音づれざりければ女、

  「あさましや見しは夢かと問ふ程におどろかずにもなりにけるかな」

と申しければ更におぼえづきてなむ思ひ侍りける。かくよむともみめかたちやは變るべきとおぼえ侍れど、むかしの人、中ごろまでは、人のこゝろかくぞ侍りける。此の事は、その人の子の、仲正といひしが語り侍るとなむ。

三河守賴綱は歌のみちにとりて人もゆるせりけり。わが身にも、殊の外に思ひあがりたるけしきなりけり。俊賴といふ人の少將なりける時、賴綱が云ひけるは、「少將殿少將殿歌よまむ