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「御覽ぜさせよとにや、この御ふみを見つけて侍る」とて、とり出だしたるを見れば、

  「鳥部山たにゝけぶりの見えたらばはかなく消えしわれとしらなむ」

とぞかきたりける。歌さへともし火のけぶりとおぼえて、いと悲しく思ひける、ことわりになむ。

又ある女有りけり。ときどき通ひける男のいつしか絕えにければ、心うくて、心のうちに思ひ惱みける程に、その人門を過ぐることのありけるを、家の人の、「今こそ過ぎさせ給へ」といひければ、思ひあまりて、「きと立ちながらいらせ給へ」と逐ひつきて云はせければ、やりかへして入りたるに、もと見しよりもなつかしきさまにて、殊の外に見えければ悔しくなりて、とかくいひけれど、女たゞ經をのみよみてかへりごともせざりける程に、七のまきの、即住安樂世界といふ所を、くりかへしよむと見ける程に、やがて絕えいりてうせにければ、われもよりておさへ、人もよりてとかくしけれども、やがてうせにけり。かくてこもりもし、又かしらをもおろしてむと思ひけれど、當時辨なりける人なれば、さすがえ籠らで土におりて、とかくの事までさたして、しばしは山ざとにかくれたりければ、世をそむきぬると聞こえけれど、さすがかくれもはてゞ出でつかへければ、かへる辨となむいひける。

左衞門の尉賴實といふ藏人、歌の道すぐれても、又好みにも好み侍りけるに、七條なる所にて、夕に郭公をきくといふ題をよみ侍りけるに、醉ひて、その家の車宿りにたてたる車にて、歌案ぜむとて寐過ぐして侍りけるをもとめけれど、思ひよらで既に講ぜむとて、人皆かきた