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たる歌とて申しあはせける、あまた聞こえしかど、忘れておぼえ侍らず。按察の中納言とかいふ人のおほやうなるも、歌などつかはしけるかへりごとに、小大進、

  「夏山のしげみが下の思ひ草露しらざりつこゝろかくとは」

などきゝはべりし。口とく歌などをかしくよみて、和泉式部などいひしものゝやうにぞ侍りし。伊豫の御とて侍りしも、中の院の大將の若くおはせしほどに、ものなどのたまひて、後には山城とかいふ人に物いふときゝ給ひて、さきにも申し侍りつる、「みとせもまたで」といふ歌よみ給へりしぞかし。かやうに色好みたまへるごたち多くこそきこえ侍りしか。

     月のかくるゝ山の端

このおとゞの御子のおはせぬぞくちをしけれど、かへりてはあはれなる方もありて、なごりをしく侍りて、我ものたまはせけるは、「いとしもなき子などのあらむはいとほいなかるべし。村上のみかどの末、中務の宮のうまごといふ人々見るに、せさることなき人々どもこそ多く見ゆめれ。我が子などありともかひなかるべし」などぞ有りける。姬君こそおはすなれ。北の方の御はらにはあらで、うちにつかひたまへりけるわらは、おほくの人のなかに、いかなるすくせにか生みきこえたるとなむ。上西門院にぞおはすと聞こえ給ふ。琴琵琶などもひき給ふともしられでおはしけるに、月あかき夜、しのびてかきならし給ひけるより、あらはれ給ひけるとかや、又ことばらに、女君きこえ給ふは、高松の院に參りかよひ給ひて、殿上人の車などつかはして、迎へなどせさせ給ふとかやぞきこえ給ふ。大將殿、いづれの程にか侍