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あまりふりたり。覺雅法師も、げにもともつゞきおぼえず」など仰せられければ、ふるき上手ども入るまじかりけり。又いとしもなくおぼしめす人、のぞくべかりけりとておぼえの人をのみとりいれて、次のたび奉りければ、「これもげにともおぼえず」と仰せられければ、又作りなほして、源重之を始めに入れたるをぞとゞめさせ給ひけるは、かくれて世にもひろまらで、中たびのが世には散れるなるべし。又山におはせし妙香院の淸覺內供など聞こえたまひし、その內供の一つ腹にや、はたの御はらにや、治部大輔雅光と聞こえ給ひし歌よみおはしき。人に知られたる歌多くよみ給へりし人ぞかし。「あふまでは思ひもよらず」、又「身をうぢ川の橋柱」などきこえ侍るめり。その御子には、實寬法印とて山におはす。六條殿の御子は、又をとこも丹波の前司、和泉の前司など申しておはしき、はかばかしきすゑもおはせぬなるべし。

     もしほの烟

二條のみかどの御時近くさぶらひ給ひて、かうの君とかきこえ給ひしは、殊の外にときめき給ふときこえ給ひしかば、內侍のかみになり給へりしにやありけむ、たゞまた、かうの殿など申すにや、よくもえうけ給はり定めざりき。それこそは、六條殿の御子の季房の丹波守の子に大夫とか申して、伊勢にこもりゐたまへる御むすめときこえ給ひしか。かの御時、女御きさき、かたがたうちつゞき多くきこえ給ひしに、御心のはなにて一時のみ盛りすくなく聞こえしに、これぞときはに聞こえ給ひて、家をさへに作りて賜はり、世にももてあつかふ程