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釋し給ひしこそ、法文のかぎりし給へば、聞きしらぬ人は何とも思ふまじきを、男も女も、身にしみてたふとがり申して、聞きしりたるは、かばかりのことなしと思ひあへり。天臺大師の經を釋し給ふに、四の法文にて、はじめ如是より經のすゑまで、句ごとに釋し給へば、その流れを汲まむ人、法をとかむ其のあとを思ふべければとて、はじめには因緣などいひて、さまざまの阿彌陀佛をときて、むかし物がたり說き具しつゝ「何事も我が心より外のことものやはある。事の心をしらぬはいとかひなし。朝夕によその實をかぞふるになむあるべき」など說き給ひし。思ひかけず承りしこそ、世々の罪も滅びぬらむかしとおぼえ侍りしか。

     夢のかよひぢ

堀河殿の公達、大臣に成り給はぬぞくちをしき。春宮大夫は一の大納言にて時にあひ給へりしに、成り給ふべかりしに、折ふしあきあふ事なく、えならでうせ給ひにき。若くおはしける時に、御夢に採桑老といふ舞をし給ふとみて語り給へりけるを、物に心得ぬ人の宰相にて久しくやおはしまさむずらむと合はせたりける、いとあさまし。さいさうといふことは有りとても、さい相とやは心得べき。桑といふ木をとるおきなといふ心とも、其の木をとりて老いたりとも云ふにつきてぞ心うべきを、かゝるひがことのあるなり。されば大納言はらだちてのたまひければにやありけむ。さいひける人もとくうせにけり。又大納言殿も誠に宰相にて久しくおはしき。昔九條の右のおとゞの御夢を、あしく合はせたりけむやうなることなり。宰相にて久しくおはせざらましかば大臣にはなり給ひなまし。またおほい殿のいつきを取