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なり」とぞ云ひける。宰相中將の公だちは基隆三位のむすめの腹に、行通中將と聞こえ給ひし、つかさも辭し給へりし、法師になりておはするとぞ。ことはらの今一人おはするとかや。二人ながら、いよの入道とぞきこえ給ひし。思ひかけぬやうなる御名なるべし。

     弓のね

その宗通の大納言の次郞におはせし、太政大臣伊通のおとゞおはしき。詩など作りたまふかた、いとよくおはしけり。手もよくかき給ひけり。よき上達部とておはしけるに、あまりいちはやくて、世のものいひにてぞおはしける。こもりゐ給へりし折も、御幸など見給ひては「百大夫變じて、百殿上人になりにけり」などのたまひ、又「籠もりゐたるは苦しからねど、世に交ろはまほしきことは、人のいたく烏帽子のしり高くあげたるに、うなじのくぼにゆひて、出でむとおもふなり」など世に似ぬやうにのたまひけり。また信賴の右衞門の督武者おこしてのち、除目を行へりし、見たまひては、「など、井は司もならぬにかあらむ。井こそ人は多く殺したれ」など、かやうのことをのみのたまふ人になむおはしける。籠もりゐ給ひしことは、宰相におはせしに、われより上﨟四人中納言になれるに、われひとり殘りたり。たとひ上﨟なりとも、後に宰相になりたる人もあり。われこそなるべきに、ひとりならずとて、宰相をも兵衞の督をも中宮の權大夫をも、皆たてまつりて、久しく籠もり給へりき。人に越えられたることもなし。こと人ならばさてもおはすべけれども、腹立ちて籠もり給へりしに、爲通宰相の太郞子におはせし、讃岐のみかどの、御おぼえにおはせし程に、おほきおとゞ前の宰相