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おとうとの第三の親王を、このかはりに立て申させ給ひて、廿五日にぞ、さきの東宮に院號きこえさせ給ひて、小一條院と申す。年每のつかさくらゐ、もとの如く給はらせたまふ。御隨身などきこえ給ひき。堀河の女御の「見えしおもひの」などよみたまへる、ふるき物語に侍るめれば、こまかにも申し侍らず。寬仁二年正月には上の御年十にあまらせ給ひて、三日御元服せさせたまへれば、きびはにおはしますに、御かうぶりたてまつりておとなにならせ給へる御姿もうつくしう、いとめづらかなる雲ゐのはるになむ侍りける。卯月の廿八日に大內やうやう造り出だしてわたらせ給ふ。しろがねのうてな玉のみはし、磨きたてられたる有樣、いときよらにて、あきらけき御世の曇りなきもいとゞあらはれ侍るなるべし。御格子も御簾も、あたらしくかけわたされたるに、雲の上人の夏頃も御だちのよそひなど、いとゞ涼しげになむ侍りける。おほ宮もいらせ給ふ。東宮もわたらせ給ひて、梅壺にぞおはします。入道おとゞの四の君は、威子の內侍のかみと聞こえたまひし、こよひ女御に參り給ひて、藤壺におはします。神無月の十日あまりのころ、きさきに立たせ給ふ。國母も后もあねおとゝにおはしませば、いとたぐひなき御榮えなるべし。廿二日に上東門院にみゆきありて、桂を折る試みせさせたまふ。題、霜をへて菊の性をしる。又みどりの松色を改むる事なし、などぞ聞えし。おほきおとゞたてまつらせ給へるとなむ。八月二十八日東宮御元服せさせ給ふ。御年十一にぞおはしましゝ。九月廿九日に、入道おとゞ東大寺にて御戒うけさせ給ひき。同四年かのえさる、三月廿二日に無量壽院つくり出ださせ給ひて、供養せさせ給ふ。きさき、みところ行啓