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せさせたまふ。御ありさまども、ふるき物語に、こまかにはべれば、さのみ同じことをや申しかさね侍るべき。十月には入道のおとゞ、比叡にのぼりたまひて、廻心とかいひて、御戒重ねて受けさせたまふ。治安二年みづのえの戌の七月十四日法成寺に行幸せさせ給ひき。入道大臣金堂供養せさせ給ひしかば、東宮もきさきたちも、皆行啓せさせ給ひき。罪あるものども皆赦され侍りにけり。三年正月に太皇太后宮に朝覲の行幸せさせ給ひき。東宮もおなじやうに行啓せさせたまひける。ふたりの御子おはしませば、いとたぐひなき宮のうちなるべし。十月十三日に上東門院の御母鷹司どの、六十の御賀せさせ給ふ。その御ありさまむかしの物がたりに侍れば、この中にも御覽ぜさせたまへる人も、おはしますらむ。萬壽元年九月十九日、關白殿の高陽の院に行幸ありてくらべ馬御覽ぜさせ給ふべきにて、太皇太后宮まづ十四日にわたりゐさせたまひてぞ、まち奉らせ給ひける。かくて廿一日に、大宮は內へいらせ給ひき。高陽院の行幸には、かの家の司、加階などし侍りけり。村上の中務の宮の御子源氏の中將を、入道おとゞの御やしなひ子ときこえ給ふ。このたび三位中將になりたまひき。二年八月三日東宮のみやす所、をとこ宮うみたてまつり給ひて、五日にかくれさせ給ひき。入道おとゞの六の君におはする、御さいはひの中に、あさましく悲しと申すもおろかに侍れど、後冷泉院を生みおきたてまつり給へれば、いとやんごとなくおはします。そのをりの悲しさはたぐひなく侍りしかども、いきて后に立ちたまへる御姉たちよりも、おはしまさぬあとのめでたさは、こよなくこそ侍るめれ。