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いでさせ給はで御湯殿のめだうの戶口に御前を召してかゝりて北の陣より出でさせ給ふに、こはいかにと人々見奉る。殿には常よりもけいめいして待ち奉り給ふに、人々にかゝりて御冠もしどけなくなり、御紐おしのけていといみじう苦しげにておりさせ給へるを見奉り給へる御心ち、出で給ひつるをりにたとしへなし。されどたゞさりともとさゝめきにこそさゝめけ、胸はふたがりながら心ちよがほをつくりあへり。されば世にはいとおびたゞしくも聞えず、今の小野宮の右大臣殿の御悅に參り給へりけるをり、も屋の御簾おろして呼び入れ奉り給へり。臥しながら御對面ありて、「みだれ心ちのいとあしくはべりて、とにはまかりいでねばかくて申し侍るなり。年ごろはかなき事につけても心のうちに喜び申す事なむ侍れど、させる事なきほどは每事にもえ申し侍らでなむ過ぎまかりつるを、今はかくまかりなりて侍れば、公私につきて報じ申すべきになむ。又大小の事も申し合せむと思ひ給ふれば、無禮をもえはゞからず、かくらうがはしき方に案內申しつるなり」などこまかにのたまへど詞もつゞかず、「たゞおしあてにさばかりなめりと聞きなさるゝに、御息ざしなどいと苦しげなるを、いと不便なるわざかなと思ひしに、風の御簾を吹き上げたりしはざまより見入れしかば、さばかりの重き病をうけ給ひてければ、いかでかは御色もたがひてきらゝかにおはする人ともおぼえず、ことの外に不覺になり給ひにけりと見え給ひながら、長かるべき事どものたまひしなむ哀なりし」とこそ後に語り給ひけれ。この粟田殿の御男君達三人ぞおはせしか。太郞君は福足の君と申しゝをさなき人はさのみこそはと思へどいと淺ましくまさな