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く惡しくぞおはせし。東三條殿の御賀に、この君舞をせさせ奉らむとてならはせ給ふ程も、あやにくがりすまひ給へど、よろづにをこづりいのりをさへして敎へ聞えさするに、その日になりて、いみじうし奉り給へるに、舞臺の上にのぼり給ひて、物の調子吹きいづるほどに、「わざはひかな、あれはまはじ」とて、びんづらひきみだり、御裝束をはらはらと引きやり給ふに、粟田殿御色をまあをにならせ給ひて、あれにもあらぬ御氣色も、ありとある人さおもへることよと見給へど、すべきやうもなきに、御をぢの中關白殿のおりて舞臺に上らせ給へば、いひをこづらせ給ふべきか、又にくさにえたへず追ひおろさせ給ふべきかとかたがた見侍りし程に、この君を御腰の程にひきつけさせ給ひて、御手づからいみじう舞はさせ給ひしこそ、樂もまさりおもしろく、かの君の御耻もかくれ、その日の興はことの外にまさりたりけれ。祖父殿もうれしとおぼしたりけり。父おとゞはさらなり、よその人だにこそすゞろに感じ奉りけれ。かやうに人のためなさけなさけしき所おはしましけるに、など御末かれさせ給ひにけむ。この君人しもこそあれ、くちなはれうし給ひて、そのたゝりにより、かしらに物はれてうせ給ひにき。この御弟の二郞君、今の左衞門督兼隆卿は大藏卿の女の腹なり。この左衞門督の君達男女あまたおはするなり。大姬君は三條院の三の御子敦平の中務宮を、このきさらぎかとよ、聟とり奉り給へるほどに、したしき御中にておはしますめり。また姬君なる四人おはす。また栗田殿の三郞前頭中將兼綱の君、その君の祭の日調じ給へりし車こそいとをかしかりしか。檜網代といふものをはりて、的のかたちに色どられたりし、車のよこざ