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今の入道殿の俗におはしましゝ折の御子うみてうせたまひにき。五の君は今の皇后宮にさぶらはせ給ふ。このおとゞの御ありさまかくなり。たゞし法住寺をぞいといかめしうおきてさせ給へる、攝政關白せさせ給はぬ人の御しわざにてはいとまうなりし。このおとゞいとやんごとなくおはしましゝかど御末ほそくぞ。

     太政大臣公季

このおとゞたゞいまの閑院のおとゞにおはします。これ九條殿の十一郞、御母宮腹におはします。御子の女をぞ北の方にてはおはしましゝ。その御はらに女君一ところ、男君二ところ。女君は一條院の御時の弘徽殿の女御、いまにおはします。男一人は三昧僧都如源と申しゝうせたまひにき。今ひとところの男君は唯今の右衞門督さねなりの卿にぞおはする。この殿の御子、播磨守陳政の御むすめのはらに女君二ところ男一人おはします。大姬君は今の中宮の權太夫殿の御北の方、今一ところ源大納言俊賢の卿。これ民部卿と聞ゆ。其御子の唯今の頭中將顯基の君の御北の方にてぞおはすめる。男君をば御おほぢの太政大臣殿、我が御子にしたてまつり給ひて公成とつけ奉らせ給へるなり。藏人頭にて、いとおぼえことにておはする君になむ。この太政大臣殿の御ありさまかくなり。御門后立たせ給はず。このおほきおほとのゝ御母うへは延喜の御門の御女、女四宮と聞えさせき。延喜いみじくときめかせおもひたてまつらせたまへりき。御裳着の屛風に公忠の辨、「ゆきやらで」とよむはこのみこの宮のなり。つらゆきなどあまたよみて侍りしかども、人にとりて勝れのゝしり給ひし歌よ。朱雀院、