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人の申しければ、殿聞かせ給ひて「年ごろなからひよからずして過ぎつるに、今はかぎりになりたると聞きてとぶらひにおはするにこそは」とてお前なるくるしきものとりやり、おとのごもりたる所引きつくろひなどして、入れ奉らむとて待ち給ふに「早く過ぎて內へまゐらせ給ひぬ」と人の申すに、いとあさましく心うくて、お前に侍ふ人々もをこがましく思ふらむ。「おはしたらば關白など讓ることなど申さむとこそ思ひつるに、かゝればこそ年頃中らひよからで過ぎつれ。あさましく安からぬ事なり」とて、かぎりのさまにてふし給へる人の「かきおこせ」とのたまへば、人々あやしと思ふほどに「車にさうぞくせよ。御前もよほせ」と仰せらるれば、物のつかせ給へるか、うつし心はなくて仰せらるゝかと怪しく見奉るほどに、御かぶり召しよせてさうぞくなどせさせ給ひて內へ參らせ給ひて、陣のうちは君だちにかゝりて、瀧口の陣の方より御前へ參らせ給ひて、こうめいちのざうしのもとにさし出でさせ給へるに、日の御座に東三條の大將御前に侍ひ給ふ程なりけり。この大將殿は堀川殿既にうせさせ給ひぬと聞かせ給ひて、內に關白の事申さむと思ひ給ひて、この殿の門を通りて參りて申し奉るほどに、堀川殿のめをつゞらかにさしいで給へるに、御門も大將もいとあさましくおぼしめす。大將はうち見るまゝに立ちて鬼のまのかたにおはしぬ。關白殿御まへについゐ給ひて、御けしきいとあしくて、「最後の除目おこなひに參り給へるなり」とて、藏人頭召して、關白には賴忠のおとゞ、東三條殿おとゞをとりて小一條のなりときの中納言を大將になし聞ゆる宣旨下して、東三條殿をば治部卿になしきこえて出でさせ給ひて、程なくうせ給