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程、御なからひどもえうるはしからざりしかば、その名殘にてげに今はわざとにくしとはなくとも、誠に心とゞめて思ひうしろみむまではおぼさずもやとぞ推し量らるゝかし。朝夕にこの御事をおぼし歎く。年暮れ行くまゝに、御惱み誠に重くなりまさらせ給ひてみすのとにも出でさせ給はず、御ものゝけにて時々惱ませ給ふこともありつれど、いとかくうちはへをやみなきさまにはおはしまさゞりつるを、この度は猶限なりとおぼしめしたり。御位を去らせ給へれど、猶その世にたのみそめ奉り給へる人々は今も懷かしくめでたき御有樣を心やり所に參り仕うまつり給ふかぎりは心をつくして惜み聞え給ふ。六條院よりも、御とぶらひしばしばあり、みづからも參り給ふべきよし聞しめして院はいといたく喜び聞えさせ給ふ。中納言の君參り給へるをみすの內に召し入れて御物語こまやかなり。「故院の上の今はのきざみにあまた御遺言ありし中にこの院の御こと今の內の御ことなむとりわきてのたまひおきしを、おほやけとなりてことかぎりありければ內々の心よせは變らずながらはかなきことあやまりに心おかれ奉ることもありけむと思ふを、年頃ことにふれてその恨み殘し給へる氣色をなむ漏らし給はぬ。さかしき人といへど身の上になりぬればことたがひて心動き、必ずそのむくい見え、ゆがめることなむいにしへだに多かりける。いかならむをりにかその御心ばへほころぶべからむと世の人もおもむけ疑ひけるを、つひに忍び過ぐし給ひて春宮などにも心をよせ聞え給ふ。今はた又なく親しかるべき中となりむつびかはし給へるも限なく心には思ひながら、本性のおろかなるに添へてこの道の間に立ちまじり、かたくなゝる