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ちけるをながめ出でゝあさましき事を思ひながらも今はいかゞせむとたのもし人に思ふ人一人ものし給はぬは心細くもあるかなと、いとつれづれなるに中將の御文あり。「御覽ぜよ」といへど聞きも入れ給はず。いとゞ人も見えずつれづれときしかた行くさきを思ひくし給ふ。「苦しきまでもながめ給ふかな。御碁うたせ給へ」といふ。「いと怪しうこそはありしか」とはのたまへど、うたむとおぼしたれば盤とりにやりてわれはと思ひてせんせさせ奉りたるにいとこよなければ又手なほしてうつ。「尼上疾う歸らせ給はなむ。この御碁見せ奉らむ。かの御碁ぞいと强かりし。僧都の君早うよりいみじう好ませ給ひてけしうはあらじとおぼしたりしを、いときせいだいとこになりてさし出でゝこそうたざらめ。御碁に負けじかし」と聞え給ひしに遂に僧都なむ二つ負けさせ給ひし。「きせいが碁にはまさらせ給ふべきなめり。あないみじ」と興ずれば、さだすぎたるあまびたひの見つかぬに物ごのみするに、むつかしき事もしそめてけるかなと思ひて「心地あし」とて臥し給ひぬ。時々「はればれしうもてなしておはしませ。あたら御身をいみじう沈みてもてなさせ給ふこそ口惜しく玉に瑕あらむ心地し侍れ」といふ。夕暮の風の音も哀なるに思ひ出づる事多くて、

 「こゝろには秋の夕をわかねどもながむる袖につゆぞみだるゝ」。月さし出でゝをかしき程に晝文ありつる中將おはしたり。あなうたて、こはなぞと覺え給へば、奧深く入り給ふを「さもあまりにもおはします物かな。御志のほども哀まさる折にこそ侍るめれ。ほのかにも聞え給はむことも聞かせ給へ。しみつかむ事のやうにおぼしたること」などいふに、いとう