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めでたると思ひてたけふぢ、ちりちりたりたな〈む歟〉など搔き返しはやりかに彈きたることばどもわりなくふるめきたり。「いとをしう今の世に聞えぬ言葉こそは彈き給ひけれ」と譽むれば、みゝほのぼのしく傍なる人に問ひ聞きて「今やうの若き人はかやうの事をぞ好まれざりける。此所に月比物し給ふなる姬君かたちはきよらに物し給ふめれど、もはらかゝるあだわざなどし給はず、うもれてなむ物し給ふめる」と、我かしこにうちあざわらひて語るを、尼君などはかたはらいたしとおぼす。これに事皆さめて歸り給ふほども山おろし吹きて聞え來る笛の音いとをかしう聞えて起きあかしたり。つとめて「よべはかたがた心亂れ侍りしかば急ぎまかで侍りし。

  忘られぬむかしの事も笛竹のつらきふしにもねぞなかれける。猶少しおぼし知るばかり敎へなさせ給へ。忍ばれぬべくはすきずきしきまでも何かは」とあるをいとゞ侘びたるは淚とゞめがたげなる氣色にて書き給ふ。

 「笛の音にむかしのことも忍ばれてかへりしほども袖ぞぬれにし。あやしう物思ひ知らぬにやとまで見え侍る有樣はおい人の問はずがたりにも聞しめしけむかし」とあり。珍しからぬも見所なき心ちしてうちおかれけむかし。荻の葉に劣らぬ程々に音づれわたる、いとむつかしうもあるかな、人の心はあながちなるものなりけりと見知りにしをりをりもやうやう思ひ出づるまゝに「猶かゝるすぢのこと人にも思ひはなたすべきさまに疾くなし給ひてよ」とて經習ひて讀み給ふ。心のうちにも念じ給へり。かくよろづにつけて世の中を思ひ捨