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やすきさまにもてなして行く末長くをと思ひのどめつゝ過しつるを、おろかに見なし給ひけむこそなかなかわくる方ありけると覺ゆれ。今はかくだにいはじと思へど又人の聞かばこそあらめ、宮の御ことよいつよりありそめけむ。さやうなるにつけてやいとかたはに人の心を惑はし給ふ宮なれば常にあひ見奉らぬなげきに身をも失ひ給へるとなむ思ふ。なほいへ。我には更になかくしそ」との給へば、たしかにこそは聞き給ひてけれといといとほしくて「いと心うき事聞しめしけるにこそは侍るなれ。右近も侍はぬ折りは侍らぬものをとながめ休らひておのづから聞しめしけむ、この宮の上の御方に忍びて渡らせ給へりしをあさましく思ひかけぬ程に入りおはしたりしかど、いみじき事を聞えさせ侍りて出でさせ給ひにき。それにおぢ給ひてかの怪しく侍りし所に渡らせ給へりしなり。その後音にも聞えじとおぼしてやみにしをいかでか聞かせ給ひけむ。唯そのきさらぎばかりより音づれ聞えさせ給へし御文はいと度々侍りしかど御覽じ入るゝことも侍らざりき。いとかたじけなくなかなかうたてあるやうになどぞ右近など聞えさせしかば、ひとたびふたたびや聞えさせ給ひけむ。それより外の事は見給へず」と聞えさす。かうぞいはむかし、しひて問はむもいとほしくてつくづくと打ちながめつゝ宮をめづらしく哀と思ひ聞えても我が方をさすがにおろかに思はざりける程にいとあきらむる所なくはかなげなりし心にて、この水の近きをたよりにてかく思ひよるなりけむかし、我がこゝにさし放ちすゑざらましかばいみじううき世にふともいかでか必ず深き谷をもとめて出でましと、いみじううき水の契かなと、この川の疎ま