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しろめたきわざにもあるかなと、おぼし出づることもさまざまなるに、京の內だにむげに人知らぬ御ありきは、さはいへどえし給はぬ御身にしも怪しきさまのやつれ姿して、み馬にておはする、心地も物恐しくやゝましけれど、ものゝゆかしきかたは進みたる御心なれば山深うなるまゝに、いつしかいかならむ、見合することもなくて歸らむこそ、さうざうしくあやしかるべけれとおぼすに、心もさわぎ給ふ。ほふさう寺のほどまでは御車にて、それよりぞみ馬には奉りける。急ぎて、よひ過ぐる程におはしましぬ。內記、あないよく知れるかの殿の人に問ひ聞きたりければ、とのゐ人あるかたにはよらで、あし垣しこめたるにしおもてを、やをら少しこぼちて入りぬ。我もさすがにまだ見ぬ御住まひなれば、たどたどしけれど人しげうなどしあらねば、しんでんの南おもてにぞ、火ほのぐらう見えて、そよそよと音する。參りて「まだ人は起きて侍るべし。これよりおはしまさむ」としるべして入れ奉る。やをらのぼりて格子のひまあるを見つけて寄り給ふに、伊豫すはさらさらと鳴るもつゝまし。新しう淸げに造りたれど、さすがにあらあらしくてひまありけるを、誰かは來て見むとうちとけて穴もふたがぬなるべし。几帳のかたびら打ち懸けておしやりたり。火あかうともして物縫ふ人三四人居たり。わらはのをかしげなる絲をぞよる。これが顏まづかのほかげに見たまひしそれなり。うちつけめかと猶疑はしきに、右近と名のりし若き人もあり。君はかひなをまくらにて、火をながめたるまみ、髮のこぼれかゝりたる額つき、いとあてやかになまめきて、對の御方にいとようおぼえたり。この右近物折るとて、「かくて渡らせ給ひなば、とみにしも得歸