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おぼえどもにとりまぜつゝ怪しき昔のことゞも出でまうできつらむはや。夢の心地こそし侍れ」と、うちほゝゑみて見奉り給へば、いとなまめかしく淸らにて例よりいたくしづまり、物おぼしたるさまに見え給ふ。我が子とも覺え給はずかたじけなきにいとほしきことゞも聞え給ひて、おぼし亂るゝにや、今はかばかりと御位を極め給はむ世に聞えも知らせむとこそ思へ、口惜しくおぼしすつべきにはあらねど、いといとほしく心おとりし給ふらむと覺ゆ。御加持はてゝまかでぬるに、御くだものなど近くまかなひなしこればかりをだにといと心苦しげに思ひて聞え給ふ。尼君はいとめでたううつくしく見奉るまゝにも、淚はえとゞめず、顏はゑみて口つきなどは見苦しくひろごりたれど、まみのわたり打ちしぐれてひそみ居たり。あなかたはらいたとめくはすれど聞きも入れず。

 「老の波かひある浦に立ちいでゝしほたるゝあまを誰かとがめむ。昔の世にもかやうなるふる人は、罪ゆるされてなむ侍りける」ときこゆ。御硯なる紙に、

 「しほたるゝあまを浪路のしるべにてたづねも見ばや濱のとまやを」。御方も得忍び給はで、うち泣き給ひぬ。

 「世を捨てゝあかしの浦にすむ人も心のやみははるけしもせじ」など聞え紛はし給ふ。別れけむ曉のことも夢のうちにおぼし出でられぬを、口惜しくありけるかなとおぼす。彌生の十餘日のほどにたひらかに生れ給ひぬ。かねてはおどろおどろしくおぼし騷ぎしかど痛く惱み給ふこともなくて男御子にさへおはすれば限なくおぼすさまにておとゞも御心おちゐ