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ありとも又人をばならべて見るべきぞ、あだあだしく心弱くなりきにける我がをこたりにかゝることも出でくるぞかし、若けれど中納言をばえおぼしかけずなりぬめりしをと、われながらつらくおぼし續けらるゝに淚ぐまれて「今夜ばかりはことわりと許し給ひてむな。これよりのちのとだえあらむこそ身ながらも心づきなかるべけれ。又さりとてかの院に聞し召さむことよ」と思ひ亂れ給へる御心のうち苦しげなり。少しほゝゑみて「みづからの御心ながらだに得定め給ふまじかなるをましてことわりもなにも何處にとまるべきにか」と、いふかひなげにとりなし給へる、恥しうさへ覺え給ひてつらづゑをつきてよりふし給へれば、御硯を引きよせて、

 「めに近くうつればかはる世の中を行くすゑとほくたのみけるかな」。ふることなど書きまぜ給ふを取りて見給ひてはかなきことなれど、げにとことわりにて、

 「命こそたゆとも絕えめさだめなき世のつねならぬ中のちぎりを」。とみにも得渡り給はぬを「いとかたはらいたきわざかな」とそゝのかし聞え給へばなよゝかにをかしき程にえならず匂ひて渡り給ふを見出し給ふもいとたゞにはあらずかし。年比さもやあらむと思ひしことゞも、今はとのみもてはなれ給ひつゝ、さらばかうにこそはと打ち解けゆく末に、ありありてかく世のきゝみゝもなのめならぬ事の出できぬるよ。思ひ定むべき世の有樣にもあらざりければ今より後もうしろめたうぞおぼしなりぬる。さこそつれなくまぎらはし給へどさぶらふ人々も、思はずなる世なりや、數多ものし給ふやうなれど何方も皆こなたの御け