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はこのたちさらぬ藏人の少將、なつかしく心耻しげにてなまめいたる方はこの四位の侍從の御有樣に似る人ぞなかりける。六條院の御けはひ近うと思ひなすがことなるにやあらむ。世の中におのづからもてかしづかれ給へる人なり。若き人々は心ことにめであへり。かんの殿も「げにこそめやすけれ」などのたまひてなつかしう物聞え給ひなどす。「院の御心ばへを思ひ出で聞えてなぐさむよなういみじうのみ思ほゆるを、その御かたみにも誰をかは見奉らむ。右のおとゞはことごとしき御ほどにて、ついでなき對面もかたきを」などのたまひてはらからのつらに思ひ聞え給へれば、かの君もさるべき所に思ひて參り給ふ。世の常のすきずきしさも見えず、いといたうしづまりたるをこゝかしこの若き人ども口惜しくさうざうしきことに思ひていひなやましけり。むつきのついたちごろかんの君の御はらからの大納言高砂謠ひし夜、藤中納言、故大殿の太郞、まきばしらの一つ腹など參り給へり。右のおとゞも御子ども六人ながらひきつれておはしたり。御かたちよりはじめて飽かぬことなく見ゆる人の御有樣おぼえなり、君達もさまさまいと淸げにて年のほどよりはつかさくらゐも過ぎつゝ何事を思ふらむと見えたるべし。世と共に藏人の君はかしづかれたるさまことなれどうちしめりて思ふことありがほなり。おとゞは御几帳へだてゝ昔に變らず御物語聞え給ふ。「その事となくてしばしばもえうけたまはらず、年の數そふまゝに內參りよりほかのありきなどうひうひしくなりにて侍ればいにしへの御物語も聞えまほしき折々多く過ぐし侍るをなむ、若きをのこどもはさるべきことには召しつかはせ給へ。必ずその志御覽ぜられ