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るまじき人をも見つくるなりけり、たまさかに立ち出づるだにかく思の外なることを見るよとをかしうおぼす。さてもいと美くしかりつるちごかな、何人ならむ、かの人の御かはりに明暮の慰めにも見ばやと思ふ心深うつきぬ。うち臥し給へるに僧都の御弟子、惟光を呼び出でさす。程なき所なれば君もやがて聞き給ふ。「よぎりおはしましけるよし只今なむ人申すに驚きながらさぶらふべきを、なにがしこの寺に籠り侍るとはしろしめしながら忍びさせ給へるをうれはしく思ひ給へてなむ。草の御席もこの坊にこそ設け侍るべけれ。いとほいなき事」と申し給へり。「いぬる十よ日の程よりわらはやみに煩ひ侍るを度重りて堪へ難う侍れば人の敎の儘に俄に尋ね入り侍りつれど、かうやうなる人のしるし顯さぬ時ははしたなかるべきも、たゞなるよりはいとほしう思ひ給へつゝみてなむいたう忍び侍りつる。今そなたにも」との給へり。即ち僧都參り給へり。法師なれどいと心恥しく人がらもやんごとなく世に思はれ給へる人なれば、かるがるしき御有樣をはしたなう覺す。かく籠れる程の御物語など聞え給ひて「同じ柴のいほりなれど少し凉しき水の流れも御覽ぜさせむ」とせちに聞え給へば、かつまだ見ぬ人々にことことしう言ひ聞かせつるをつゝましう覺せど、哀なりつるありさまもいぶかしうておはしぬ。げにいと心ことによしありて同じ木草をも植ゑなし給へり。月もなき頃なれば遣水に篝火ともしとうろなどにも參りたり。南面いと淸げにしつらひ給へり。そらだきもの心にくゝかをり出でみやうかうのかなど匂ひ滿ちたるに君の御追風いと異なればうちの人々も心づかひすべかめり。僧都世のつねなき御物語後の世の事な