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Page:Kokubun taikan 01.pdf/585

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有樣などよりも華やかにめでたくあらまほしければ、北の方さぶらふ人々などは心よからず思ひいふもあれど、何の苦しきことかあらむ。あぜちの北の方などもかゝる方にて嬉しと思ひ聞え給ひけり。

かくて六條院の御いそぎは廿餘日の程なりけり。對の上みあれにまうで給ふとて例の御方々いざなひ聞え給へど、中々さしもひきつゞきて心やましきを覺して、誰も誰もとまり給ひてことごとしき程にもあらず。御車二十ばかりにて御ぜんなどもくだくだしき人數多くもあらず事そぎたるしもけはひことなり。祭の日曉にまうで給ひてかへさには物御覽ずべき御さじきにおはします御方々の女房おのおの車ひきつゞきて御まへ所々しめたる程いかめしう、かれはそれととほめよりおどろおどろしき御勢ひなり。おとゞは中宮の御母御息所の車押し避けられ給へりし折の事おぼし出でゝ「時による心おごりして、さやうなることなむなさけなきことなりける。こよなく思ひけちたりし人も歎き負ふやうにてなくなりにき」とその程はのたまひけちて「殘りとまれる人々も中將はかくたゞ人にて僅になりのぼるめり。宮は並びなきすぢにておはするも、思へばいとこそ哀なれ。すべて定なき世なればこそ何事も思ふまゝにて生ける限りの世を過ぐさまほしけれど、殘り給はむ末の世などのたとしへなきおとろへなどをさへ思ひはゞからるれば」と打ち語らひ給ひて、上達部なども御さじきに參り集ひ給へればそなたに出で給ひぬ。近衞づかさの使は頭中將なりけり。かの大殿にて出で立つ所よりぞ人々は參り給ひける。とうないしのすけも使なり