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かうじし給へる。今日の御のりのゑをも尋ねおぼさば罪を許し給へてよや。のこり少くなり行く末の世に思ひ捨て給へるもうらみ聞ゆべく」などのたまへば、うちかしこまりて「過ぎにし御おもむけも、賴み聞えさすべきさまにうけ給はりおくこと侍りしかど、許しなき御氣色に憚りつゝ」など聞え給ふ。心あわたゞしきあま風に皆ちりぢりにきほひかへり給ひぬ。君いかに思ひて例ならず氣色ばみ給ひつらむなど、世と共に心をかけたる御あたりなればはかなきことなれど耳とまりてとやかうやと思ひ明し給ふ。こゝらのとし頃の思のしるしにや、かのおとゞも名殘なくおぼしよわりつゝ、はかなき序のわざとはなくさすがにつきづきしからむをおぼすに、四月のついたちごろおまへの藤の花いとおもしろう咲き亂れて世の常の色ならず、たゞに見過ぐさむこと惜しき盛りなるにあそびなどし給ひて、暮れ行くほどのいとゞ色まされるに頭中將して御せうそこあり。「一日の花のかげの對面、飽かず覺え侍りしを、御いとまあらば立ちより給ひなむや」とあり。御文には、
「わが宿の藤の色こきたそがれに尋ねやはこぬ春のなごりを」。げにいとおもしろき枝につけ給へり。待ちつけ給へるも心時めきせられて、かしこまり聞え給ふ。
「なかなかにをりやまどはむ藤の花たそがれ時のたどたどしくば」と聞えて「口惜しくこそ臆しにけれ。取りなほし給へよ」と聞え給ふ。「御供にこそ」とのたまへば「煩しき隨身はいな」とてかへし給ふ。おとゞのおまへにて「かくなむ」とて御覽ぜさせ給ふ。「思ふやうありて物し給へるにやあらむ。さも進み物し給はゞこそは過ぎにし方のけうなかりし恨も解けめ」