コンテンツにスキップ

Page:Kokubun taikan 01.pdf/572

提供:Wikisource
このページは校正済みです

かにをかしげなれどかどや後れたらむ」とうちさゝめきて聞え給ふ。「故入道の宮の御手はいとけしき深うなまめきたるすぢはありしかど、弱き所ありて匂ひぞすくなかりし。院のないしのかみこそ今の世の上手におはすれどあまりそぼれてくせぞそひためる。さはありともかの君と前齋院とこゝにとこそは書き給はめ」と許し聞え給へば「この數にはまばゆくや」と聞え給へば「いたうなすぐし給ひそ。にごやかなる方の懷かしさはことなる物を、まんなのすゝみたるほどにかんなはしどけなき文字こそまじるめれ」とてまだ書かぬ草子どもつくりくはへ、表紙紐などいみじうせさせ給ふ。「兵部卿の宮左衞門督などにものせむ。みづからひとよろひはかくべし。氣色ばみいますかりともえ書きならべじや」とわれぼめをし給ふ。墨筆ならびなくえり出でゝ例のところどころにたゞならぬ御せうそこあれば、人々難きことにおぼして、あるはかへさひ申し給ふもあればまめやかに聞え給ふ。高麗の紙の薄葉だちたるがせめてなまめかしきを、この物好みする若き人々試みむとて宰相中將、式部卿の宮の兵衞督うちの大殿の頭中將などに「あしでうたゑを思ひ思ひに書け」とのたまへば皆心々にいどむべかめり。例の寢殿に離れおはしまして書き給ふ。花盛過ぎて淺綠なる空うらゝかなるに、ふるき事どもなど思ひすまし給ひて御心の行く限りさうのもたゞのも女でをいみじう書きつくし給ふ。おまへに人しげからず女房二三人ばかり墨などすらせ給ひて、ゆゑある古き集の歌など「いかにぞや」などえり出で給ふに、口をしからぬ限りさぶらふ。みす上げわたして脇息の上に草子うちおき、はし近くうち亂れて筆のしりくはへて思ひめぐらし給