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Page:Kokubun taikan 01.pdf/546

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やあらむ」と打ち笑ひての給へるいとねたげに心やまし。御めしうどだちて仕うまつりなれたるもくの君、中將のおもとなどいふ人々だに程につけつゝ安からずつらしと思ひ聞えたるを、北の方はうつし心ものし給ふ程にていと懷しう打ち泣きて居給へり。「みづからをぼけたりひがひがしとの給ひはぢしむるはことわりなることになむ。宮の御事をさへとりまぜのたまふぞ、漏り聞き給はむはいとほしう、憂き身のゆかりかるがるしきやうなる耳なれにて侍れば今始めていかにも物を思ひ侍らず」とてうち背き給へるらうたげなり。いとさゝやかなる人の常の御なやみに瘠せ衰へ、ひわづにて髮いとけうらにて長かりけるが、分けとりたるやうにおちほそりてけづることもをさをさし給はず、淚にまろかれたるはいと哀なり。こまかに匂へる所はなくて父宮に似奉りてなまめいたるかたちし給へるを、もてやつし給へれば、いづこの華やかなるけはひかあらむ。「宮の御事をかろくはいかゞ聞ゆる。おそろしう人きゝかたはになのたまひなしそ」とこしらへて「かの通ひ侍る所のいとまばゆき玉の臺にうひうひしうきすくなるさまにて出で入る程も、かたかたに人めだつらむとかたはらいたければ心やすくうつろはしてむと思ひ侍るなり。おほきおとゞのさる世にたぐひなき御おぼえをば更にも聞えず、心はづかしういたり深うおはすめる御あたりににくげなる事漏り聞えばいとなむいとほしうかたじけなかるべき。なだらかにて御中よくてものし給へ。宮に渡り給へりとも忘るゝことは侍らじ。とてもかうても今さらに志の隔たることはあるまじけれど、世のきこえ人笑へに、まろがためにもかるがるしうなむ侍るべきを年頃の契たがへ