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Page:Kokubun taikan 01.pdf/482

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しを心に籠め難くて言ひ置き始めたるなり。よきさまに言ふとてはよきことの限をえり出で、人にしたがはむとては又惡しきさまの珍しきことを取り集めたる、皆かたがたにつけたるこの世の外のことならずかし。人のみかどのざえつくりやうかはれる、同じやまとの國のことなれば昔今のに變るべし。深き事淺き事のけぢめこそあらめ、ひたぶるにそらごとゝ言ひはてむもことの心違ひてなむありける。佛のいとうるはしき心にて說き置き給へる御法も方便といふことありて、さとりなきものはこゝかしこたがふ疑ひを置きつべくなむ方等經の中に多かれど、いひもて行けば一つ胸に當りて、菩提と煩惱との隔たりなむこの人の善き惡しきばかりのことは變りける。よくいへばすべて何事も空しからずなりぬや」と物語をいとわざとのことにのたまひなしつ。「さてかゝるふる事のなかに、まろ、かやうにじほうなるしれものゝ物語はありや。いみじうけどほきものゝ姬君も、御心のやうにつれなくそらおぼめきしたるは世にあらじな。いざたぐひなき物語にして世に傳へさせむ」とさしよりて聞え給へば、顏をひき入れて、「さらずとも、かく珍らかなることは世語にこそはなり侍りぬべかめれ」とのたまへば、「珍らかにやおぼえ給ふ。げにこそまたなき心地すれ」とてより居給へるさまいとあざれたり。

 「思ひあまり昔のあとを尋ぬれど親にそむける子ぞたぐひなき。ふけうなるは佛の道にもいみじくこそいひたれ」とのたまへど、顏ももたげ給はねば、みぐしをかきやりつゝいみじう恨み給へば、からうじて、