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Page:Kokubun taikan 01.pdf/412

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り。せうとの童殿上する常にこの君に參り仕うまつるを例よりも懷しう語らひ給うて「五節はいつかうちへは參る」と問ひ給ふ。「今年とこそは聞き侍れ」と聞ゆ。「顏のいとよかりしかばすゞろにこそ戀しけれ。ましが常に見るらむもうらやましきを又見せてむや」とのたまへば「いかでかさは侍らむ。心に任せても得見侍らず、 をのこはらからとて近くもよせ侍らねばましていかでか君達には御覽ぜさせむ」と聞ゆ。「さらば文をだに」とて賜へり。さきざきかやうのことはいふものをと苦しけれどせめて給へばいとほしうてもていぬ。年の程よりはざれてやありけむ、をかしと見けり。綠の薄樣のこのましきかさねなるに手はまだいと若けれど生ひさき見えていとをかしげに、

 「日かげにもしるかりけめやをとめ子があまのは袖にかけし心は」。ふたり見るほどに父ぬしふとより來たり、恐しうあきれてえ引き隱さず「なぞの文ぞ」とて取るにおもて赤みて居たり。よからぬわざしけりとにくめば、せうと逃げていくを呼びよせて「たがぞ」と問へば「殿のくわざの君のしかじかのたまひてたまへる」といへば名殘なくうち笑みて「いかにうつくしき君の御ざれ心なり。きんちらは同じ年なれどいふかひなくはかなかめり」など譽めて母君にも見す。この君達の少し人かずにおぼしぬべからましかばおほざうの宮仕よりは奉りてまし。殿の御心おきてを見るにみそめ給ひてむ人を御心とは忘れ給ふまじきにこそいと賴もしけれ。明石の入道のためしにやならまし」などいへど皆急ぎ立ちにけり。かの人は文をだにえやり給はず立ちまさる方のことし心にかゝりて程ふるまゝにわりなく戀しき