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らむかしと覺し出づ。思ひあがれる氣色に聞きおき給へるむすめなれば、ゆかしくて耳とゞめ給へるに、この西おもてにぞ人のけはひする。きぬの音なひはらはらとして若き聲どもにくからず。さすがにしのびてわらひなどするけはひことさらびたり。格子をあげたりけれど、かみ、心なしとむつがりておろしつれば、火ともしたるすき影さうじの紙より漏りたるに、やをら寄り給ひて、見ゆやとおぼせどひましなければしばし聞き給ふに、この近きもやに集ひ居たるなるべし、うちさゝめき言ふ事どもを聞き給へば、我が御うへなるべし「いといたうまめだちてまだきにやんごとなきよすが定まり給へるこそさうざうしかめれ。されどさるべき隈にはよくこそかくれありき給ふなれ」などいふにもおぼす事のみ心にかゝり給へればまづ胸潰れて、かやうのついでにも人の言ひ漏さむを聞きつけたらむ時など覺え給ふ。異なる事なければきゝさし給ひつ。式部卿の宮の姬君に、朝顏奉り給ひし歌などを、少し頰ゆがめて語るも聞ゆ。くつろぎがましく歌ずんじがちにもあるかな。猶見劣りはしなむかしとおぼす。守出できて、とうろかけそへ火あかくかゝげなどして御くだものばかり參れり。「とばりちやうもいかに。そはさる方の心もなくてはめざましきあるじならむ」とのたまへば「何よけむとも得うけ給はらず」と畏まりて侍ふ。端つ方のおましに、假なるやうにて大殿ごもれば人々もしづまりぬ。あるじの子どもをかしげにてあり。童なる殿上のほどに御覽じ馴れたるもあり。伊豫の介の子もあり。あまたある中に、いとけはひあてはかにて十二三ばかりなるもあり。「いづれかいづれ」など問ひ給ふに「これは故衞門のかみの末の子にてい