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知れる人はいみじういとほしく思ふ。一夜のしりうごとの人々はまして心地も違ひて何にかゝるむつ物語をしけむと思ひ嘆きあへり。姬君は何心もなくておはするにさし覗き給へればいとらうたげなる御さまを哀に見奉り給ふ。「若き人といひながら心幼く物し給ひけるを知らでいとかく人なみなみにと思ひける我こそまさりてはかなかりけれ」とて御めのとどもをさいなみ給ふに聞えむ方なし。「かやうの事は限なき帝の御いつきむすめもおのづからあやまつためし昔物語にもあめれど氣色をしり傳ふる人さるべきひまにてこそあらめ。これは明暮立ちまじり給ひて年頃おはしましつるを何かはいわけなき御程を宮の御もてなしよりもさしすぐしても隔て聞えさせむとうちとけて過ぐし聞えつるを、一昨年ばかりよりはけざやかなる御もてなしになりにて侍るめるに若き人とてもうちまぎればみ、いかにぞや、世づきたる人もおはすべかめるを夢に亂れたる所おはしまさゞめれば更に思ひよらざりけること」とおのがどちなげく。「よししばしかゝる事漏さじ、隱れあるまじきことなれど心をやりてあらぬ事とだにいひなされよ。今かしこに渡し奉りてむ宮の御心のいとつらきなり。そこたちはさりとも、いとかゝれとしも思はれざりけむ」とのたまへばいとほしき中にも嬉しくのたまふと思ひて「あないみじや、大納言殿に聞え給はむことをさへ思ひ侍れば、めでたきにてもたゞ人のすぢは、何の珍しきにか思う給へかけむ」と聞ゆ。姬君はいと幼げなる御さまにて萬に申し給へどもかひあるべきにもあらねばうち泣き給ひて、「いかにしてかいたづらになり給ふまじきわざはすべからむ」と忍びてさるべさどちのたまひて大宮