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Page:Kokubun taikan 01.pdf/307

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この人知れず思ふ方のまじらひをせさせ奉らむに、人に劣り給ふまじかめり。いかでさやかに御かたちを見てしがなとおぼすもうちとくべき御親心にはあらずやありけむ。我が御心も定め難ければかく思ふといふことも人にも漏し給はず。御わざなどの御事もとりわきてせさせ給へばありがたき御心を宮人も喜びあへり。はかなく過ぐる月日にそへていとゞさびしく心ぼそき事のみまさるに、侍ふ人々もやうやうあがれゆきなどしてしもつ方の京極わたりなれば人げ遠く山寺の入相の聲々にそへてもねなきがちにてぞ過ぐし給ふ。同じき御親と聞えし中にも片時のまも立ち離れ奉り給はでならはし奉り給ひて、齋宮にも親そひてくだり給ふことは例なきことなるを、あながちに誘ひ聞え給ひしみこゝろに、限ある道にてはたぐひ聞え給はずなりにしをひるまなうおぼし歎きたり。侍ふ人々につけて心かけ聞え給ふ人たかきいやしきもあまたあり。されどおとゞの御めのとたちに「心に任せたること引き出し仕うまつるな」など親がり申し給へば、いと耻しき御ありさまにびんなき事聞しめしつけられじと言ひ思ひつゝはかなきことのなさけも更に作らず。院にもかのくだり給ひし日大極殿のいつくしかりし儀式にゆゝしきまで見え給ひし御かたちを忘れ難うおぼし置きければ、參り給ひて、「齋院など御はらからの宮々おはしますたぐひにてさぶらひ給へ」と御息所にも聞え給ひにき。されどやんごとなき人々侍ひ給ふにかずかずなる御うしろみもなくてやと覺しつゝみ、うへはいとあつしうおはしますも恐しう、又物思ひやくはへむと憚りて過ぐし給ひしを、今はまして誰かは仕うまつらむと人々思ひたるをねんごろに院には