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Page:Kokubun taikan 01.pdf/297

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のあはれぞや。所のさまなどうち思ひやる時々きしかたのこと忘れ難きひとりごとを、ようこそ聞きすぐい給はね」など恨み聞え給ひて、うはつゝみばかりを見せ奉らせ給ふ。手などのいとゆゑづきてやんごとなき人苦しげなるを、かゝればなめりとおぼす。かくこの御心とり給ふ程に花散里をかれはて給ひぬるこそいとほしけれ。おほやけごとゞもしげく所せき御身に、おぼし憚るにそへても、珍しく御目驚くことのなき程思ひしづめ給ふなりけり。五月雨のつれづれなるころ、おほやけわたくし物しづかなるにおぼし起して渡り給へり。よそながらも明暮につけてよろづにおぼしやりとぶらひ給ふをたのみにてすぐい給ふ所なれば、今めかしう心にくきさまにそばみ恨み聞え給ふべきならねば心やすげなり。年比にいよいよ荒れまさりすごげにておはす。女御の君に御物語聞え給ひて西の妻戶に夜ふかして立ち寄り給へり。月おぼろにさし入りていとゞえんなる御ふるまひ盡きもせず見え給ふ。いとゞつゝましけれどはし近う眺め給うけるさまながらのどやかにて物し給ふけはひいとめやすし。水鷄のいと近う鳴きたるを、

 「くひなだに驚かさずはいかにして荒れたるやどに月をいれまし」。いとなつかしう言ひけち給へるぞとりどりに捨てがたき世かな、かゝるこそなかなか身も苦しけれとおぼす。

 「おしなべてたゝくくひなに驚かばうはの空なるつきもこそいれ。後めたう」とは猶ことに聞え給へど、あだあだしきすぢなど疑はしき御心ばへにはあらず。年比まち過ぐし聞え給へるも更におろかにはおぼえざりけり。空なながめ給ひそとたのめ聞え給ひしをりのこと