コンテンツにスキップ

Page:Kokubun taikan 01.pdf/295

提供:Wikisource
このページは校正済みです

われとうちそむきながめて、「あはれなりし世のありさまかな」とひとりごとのやうにうちなげきて、

 「思ふどち靡くかたにはあらずともわれぞけぶりにさきだちなまし」。「何とかやこゝろうや。

  誰により世をうみ山に行きめぐり絕えぬ淚にうきしづむ身ぞ。いでやいかでか見え奉らむ。命こそかなひ難かべい物なめれ。はかなきことにて人に心おかれじと思ふも、唯ひとつ故ぞや」とて、箏の御琴引き寄せてかき合せすさび給ひて、そゝのかし聞え給へど、かのすぐれたりけむもねたきにや、手も觸れたまはず、いとおほどかに美しうたをやぎ給へるものから、さすがにしうねき所つきて物怨じしたまへるがなかなかあいぎやうづきて腹だちなし給ふををかしう見所ありとおぼす。五月五日にぞいかには當るらむと人知れず數へ給ひて、ゆかしうあはれにおぼしやる。何事もいかにかひあるさまにもてなし嬉しからまし、口惜しのわざや、さる所にしも心苦しきさまにて出で來たるよとおぼす。男君ならましかばかうしも御心にかけ給ふまじきを、かたじけなういとほしう我が御宿世もこの御事につけてぞかたほなりけるとおぼさるゝ。御使出し立てらる。「必ずその日違へず罷りつけ」とのたまへば、五日にいきつきぬ。おぼしやることもありがたうめでたきさまにてまめまめしき御とぶらひもあり。

 「うみ松や時ぞともなきかげに居て何のあやめもいかにわくらむ。心のあくがるゝまで