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など言はむかたなく見え給ふ。「思ひ捨て難きすぢもあめれば今いと疾く見なほし給ひてむ。唯このすみかこそ見捨てがたけれ。いかゞすべき」とて、
「都出でし春のなげきにおとらめや年ふる浦をわかれぬる秋」とておしのごひ給へるにいとゞ物おぼえずしほたれまさるたちゐもあさましうよろぼふ。さうじみの心ちは譬ふべきかたなくてかうしも人に見えじと思ひしづむれど、身のうきをもとにてわりなきことなれどうち棄て給へる恨のやる方なきに、面影そひて忘れがたきにたけきことゝは唯淚に沈めり。母君も慰めわびて「何にかく心づくしなる事を思ひそめけむ。すべてひがひがしき人に從ひける心のをこたりぞ」といふ。「あなかまやおぼしすつまじき事も物し給ふめればさりともおぼす所あらむ。思ひ慰めて御湯などをだにまゐれ。あなゆゝしや」とて片隅に寄り居たり。めのと母君などひがめる心を言ひ合せつゝ「いつしかいかで思ふさまにて見奉らむと年月をたのみ過し、今や思ひかなふとこそ賴み聞えつれ、心苦しきことをも物の始に見るかな」と歎くを見るにもいとほしければ、いとゞほけられて晝は日一日いをのみ寢くらし夜はすくよかに起き居て、「ずゞの行くへも知らずなりにけり」とて、手をおし摺りて仰ぎ居たり。弟子どもにあばめられて、月夜に出でゝぎやうだうするものはやりみづに倒れ入りにけり。よしある岩のかたそばに腰もつきそこなひて病み臥したる程になむ少し物まぎれける。
君は難波の方にわたりて御祓へし給ひて、住吉にも、たひらかにていろいろの願はたし申すべきよし御使して申させ給ふ。俄に所せうて自らはこの度え詣で給はず。殊なる御道遙