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Page:Kokubun taikan 01.pdf/283

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堪へで、自ら筝の琴取りてさし入れたり。自らもいとゞ淚さへそゝのかされて留むべき方なきにさそはるゝなるべし。忍びやかに調べたる程いと上手めきたり。入道の宮の御琴の音を只今の又なきものに思ひ聞えたるは今めかしう、あなめでたと、聞く人の心行きてかたちさへ思ひやらるゝことはげにいと限なき御琴の音なり。これは飽くまで彈きすまし心にくゝ妬きねぞまされる。この御心にだに始めて哀になつかしう、まだ耳なれ給はぬ手など心やましき程にひきさしつゝ飽かずおぼさるゝにも、月頃など强ひても聞きならさゞりつらむと悔しうおぼさる。心のかぎり行くさきの契をのみし給ふ。「きんは又かきあはするまでのかたみに」との給ふ。女、

 「なほざりにたのめおくめる一ことをつきせぬ音にやかけて忍ばむ」。いふともなき口ずさみを怨み給ひて、

 「逢ふまでのかたみに契る中の緖のしらべはことにかはらざらなむ。このね違はぬさきに必ずあひ見む」とたのめ給ふめり。されど唯別れむ程のわりなさを思ひむせたるもいとことわりなり。立ち給ふ曉は夜ふかう出で給ひて御迎の人々もさわがしければ心もそらなれど人まをはからひて、

 「うちすてゝ立つも悲しき浦なみのなごりいかにと思ひやるかな」。御かへり、

 「年經つる苫屋も荒れてうきなみのかへるかたにや身をたぐへまし」とうち思ひけるまゝなるを見給ふに忍び給へどほろほろとこぼれぬ。心知らぬ人々は、猶かゝる御住ひなれど