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Page:Kokubun taikan 01.pdf/258

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かし給ふ事ならびなかりける程に人のそねみ多くてうせ給ひにしかど、この君のとまり給へるいとめでたし。かく女は心をたかくつかふべきものなり。おのれかゝるゐなかうどなりとておぼし捨てじ」など言ひ居たり。このむすめすぐれたるかたちならねどなつかしうあてはかに心ばせあるさまなどぞげにやんごとなき人に劣るまじかりける。身の有樣を口惜しきものに思ひ知りて、たかき人はわれを何の數にもおぼさじ、程につけたる世をば更に見じ、命長くて思ふ人々に後れなばあまにもなりなむ、海の底にも入りなむなどぞ思ひける。父君所せく思ひかしづきて年に二たび住吉にまうでさせけり。神の御しるしをぞ人知れずたのみ思ひける。須磨には年かへりて日長くつれづれなるに、植ゑし若木の櫻ほのかに咲きそめて空の氣色うらゝかなるに萬の事おぼし出でられてうち泣き給ふ折々おほかり。二月二十日あまり、いにし年京を別れし時心苦しかりし人々の御有樣などいとこひしく、南殿の櫻は盛になりぬらむ。一年の花の宴に院の御けしき內のうへのいと淸らになまめいてわがつくれる句をずし給ひしも思ひ出できこえ給ふ。

 「いつとなく大宮人の戀しきにさくらかざしゝけふも來にけり」。いとつれづれなるに、大殿の三位中將は今は宰相になりて人がらのいとよければ時世のおぼえ重くて物し給へど、世の中いとあはれにあぢきなく物の折ごとに戀しくおぼえ給へば、ことのきこえありて罪にあたるともいかゞはせむとおぼしなりて俄にまうで給ふ。うち見るより珍しくうれしきにもひとつ淚ぞこぼれける。すまひ給へるさま言はむ方なく唐めきたり。所のさま繪に書