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がめそ」と聞えたり。ほゝえみて見給ふ。いとはづかしげなり。
「心ありてひくての綱のたゆたはゞうち過ぎましや須磨のうらなみ。いさりせむとは思はざりしはや」とあり。うまやのをさに句詩とらする人もありけるをまして落ちとまりぬべくなむおぼえける。
都には月日過ぐるまゝに帝を始め奉りて戀ひ聞ゆる折ふし多かり。春宮はまして常におぼし出でつゝ忍びて泣き給ふを、見奉る御乳母まして命婦の君はいみじう哀に見奉る。入道の宮は春宮の御事をゆゝしうのみおぼしゝに大將もかくさすらへ給ひぬるをいみじうおぼし歎かる。御はらからのみ子たちむつましう聞え給ひし上達部など始つかたはとぶらひ聞え給ふなどありき。あはれなる文を作りかはし、それにつけても世の中にのみめでられ給へば、きさいの宮聞し召していみじくの給ひけり。「おほやけのかうじなる人は心にまかせてこの世のあぢはひをだに知る事難うこそあなれ。おもしろき家居して世の中を誹りもどきて、かの鹿を馬と言ひけむ人のひがめるやうにつゐせうする」などあしき事も聞えければ、わづらはしとて絕えてせうそこ聞え給ふ人なし。二條院の姬君は程經るまゝにおぼし慰むをりなし。東の對に侍ひし人ども皆渡り參りしはじめはなどかさしもあらむと思ひしかど、見奉り馴るゝまゝに懷しうをかしき御有樣まめやかなる御心ばへも思ひやり深うあはれなれば、まかでちるもなし。なべてならぬきはの人々にはほの見えなどし給ふ。そこらのなかにすぐれたる御心ざしもことわりなりけりと見奉る。かの御住ひには久しうなるまゝに、え念じ過ごすまじうおぼえ給へど、我が身だにあさましき宿世と覺ゆる住