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ひけつを、目にみすみす世にはかゝる事こそはありけれとうとましうなりぬ。あな心うとおぼされて「かくのたまへど誰とこそ知らね。たしかにのたまへ」との給へば唯それなる御有樣にあさましとはよのつねなり。人々近う參るも傍痛うおぼさる。少し御聲も靜まり給へれば、ひま坐するにやとて、宮の御湯もて寄せ給へるにかきおこされ給ひて、程なく生れ給ひぬ。嬉しと思すことかぎりなきに、人にかりうつし給へる御ものゝけどもの妬がり惑ふけはひいと物さわがしうて後の事またいと心もとなし。言ふかぎりなきぐあんどもたてさせ給ふけにや、たひらかに事成りはてぬれば、山の座主何くれとやんごとなき僧どもしたり顏に汗おしのごひつゝ急ぎまかでぬ。多くの人の心を盡しつる日比の名殘少しうちやすみて今はさりともと覺す。御修法などは、又々始めそへさせ給へどまづはけうあり。珍しき御かしづきに皆人心ゆるべり。院をはじめ奉りてみこたち上達部殘なきうぶやしなひどものめづらかにいかめしきを夜ごとに見のゝしる。男にてさへおはすればそのほどの作法賑はゝしくめでたし。かの御やす所はかゝる御有樣を聞き給ひてもたゞならず、かねてはいと危く聞えしをたひらかにもはたとうちおぼしけり。あやしう我にもあらぬ御心地をおぼし續くるに御ぞなども唯芥子のかにしみかへりたり。怪しさに御ゆするまゐり、御ぞ着かへなどし給ひて試み給へば猶同じやうにのみあれば、我が身ながらだにうとましう覺さるゝに、まして人の言ひ思はむ事など人にのたまふべき事ならねば心ひとつに思し歎くに、いとゞ御心がはりもまさり行く。大將殿は心地少しのどめてあさましかりし程のとはずがたりも心憂く思