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のさまに物し給ふを、聞えおかまほしきことも坐するにやとておとゞも宮も少ししぞき給へり。加持の僧ども聲しづめて法華經を讀みたるいみじうたふとし。御几帳のかたびら引き上げて見奉り給へば、いとをかしげにて御腹はいみじう高うて臥し給へるさまよそ人だに見奉らむに心亂れぬべし。まして惜しう悲しうおぼす、ことわりなり。白き御ぞに色あひいと花やかにて御ぐしいと長うこちたきを引きゆひてうちそへたるも、かうてこそらうたげになまめきたる方添ひて、をかしかりけれと見ゆ。御手を執へて、「あないみじ。心憂きめを見せ給ふかな」とて物もえ聞え給はず泣き給へば、例はいと煩はしくはづかしげなる御まみをいとたゆげに見上げてうちまもり聞え給ふに、淚のこぼるゝさまを見給ふはいかゞ哀の淺からむ。あまりいたく泣き給へば心苦しき親たちの御事をおぼし、又かく見給ふにつけて口惜しう覺え給ふにやとおぼして「何事もいと斯うなおぼし入れそ。さりともけしうはおはせじ。いかなりとも必ず逢ふ瀨あなればたいめんはありなむ。おとゞ宮なども深き契ある中はめぐりても絕えざなればあひ見るほどありなむとおぼせ」と慰め給ふに、「いであらずや。身の上のいと苦しきをしばし休め給へと聞えむとてなむ。かく參り來むとも更に思はぬを物思ふ人のたましひは實にあくがるゝものになむありける」となつかしげにいひて、
「歎きわび空にみだるゝ我がたまを結びとゞめよしたかひのつま」とのたまふ聲けはひ、その人にもあらずかはり給へり。いと怪しとおぼしめぐらすに唯かの御やす所なりけり。淺ましう人のとかくいふを、よからぬものどもの言ひ出づる事と聞きにくゝおぼしてのたま