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色をことわりに哀と見奉り給ふ。うちとけぬ朝ぼらけに出で給ふ御さまのをかしきにも猶ふり離れなむことはおぼしかへさる。やんごとなき方にいとゞ志添ひ給ふべきことも出で來にたれば一つ方におぼし靜まり給ひなむを、かやうにまち聞えつゝあらむも、心のみ盡きぬべきことなかなか物思ひの驚かさるゝ心地し給ふに御文ばかりぞ暮つ方ある。「日比少し怠るさまなりつる心地の俄にいと苦しげに侍るをえ引きよがてなむ」とあるを例のことづけと見給ふものから、
「袖ぬるゝこひぢとかつは知りながらおりたつ田子のみづからぞうき。山の井の水もことわりに」とぞある。御手は猶こゝらの人の中に勝れたりかしとうち見給ひつゝ如何にぞやもある世かな。心もかたちもとりどりに捨つべきもなくまた思ひ定むべきもなきを、苦しうおぼさる。御返りいとくらうなりにたれど、袖のみぬるゝやいかに。深からぬ御ことになむ。
「あさみにや人はおりたつ我がかたは身もそぼつまで深きこひぢを。おぼろけにてや。この御かへりを自ら聞えさせぬ」などあり。大殿には御物のけ痛く起りていみじうわづらひ給ふ。この御いきすだま故父おとゞの御靈などいふものありと聞え給ふにつけておぼしつゞくれば、身一つのうき嘆きより外に人をあしかれなど思ふ心もなけれど、物思ふにあくがるなるたましひはさもやあらむとおぼし知らるゝ事もあり。年頃よろづに思ひ殘すことなく過ぐしつれど、かうしも碎けぬをはかなき事の折に人の思ひけち、なきものにもてなすさまなりしみそぎの後、ひと節に憂しとおぼしうかれにし心靜まり難うおぼさるゝけにや、少しも